>文化史 平安文学の誕生

平安文学は国風文学

平安時代の文学は、国風文学とも呼ばれる。国風文学では、海外からの影響が弱まり、日本語の独自性がはっきりと表れた。
文学作品に、仮名文字(かなもじ)が用いられ、「あはれ」や「四季を感じる」精神が、描かれるようになった。

遣唐使の廃止

日本列島には、海外から文化を輸入する時期と、国内にて文化を深化する時期が、波のように交互に訪れてきた。
国風文学の始まりとして、894年の、遣唐使の廃止に注目しよう。遣唐使は、それまで、東アジアの文化の輸入に、役立ってきた。律令制は、古代中国の制度を習ったものだった。また、最澄と空海も、漢字を通して、仏教を学んだ。
菅原道真の建議によって、遣唐使は廃止される。廃止によって、東アジアの文化の輸入が弱まった。日本列島に、藤原氏の摂関政治のもとで、国風文化の時代が訪れる。

真名と仮名

国風文化では、漢字は、真名(まな)とも呼ばれていた。そして、真名から、仮名(かな)が生まれた。
ひらがなは、漢字をやわらかく崩して、カタカナは、漢字の一部を省略した。
真名と仮名は、用いる場面が、区別されていたのだろう。日本語は、現在でも、場面によって、言葉が変わりやすい。

紀貫之 日本語の革新者

真名と仮名の区別を、紀貫之は、革新した。
紀貫之は、詩歌としては万葉集を編纂し、散文としては土佐日記を執筆している。 どちらも、真名と仮名という2つの日本語の流れを、意識した作品だ。
平安文学の中心に、紀貫之を置くと、見通しが良くなる。

藤原一族 文化の後援者

藤原一族は、平安文学の後援者だった。 紫式部(むらさきしきぶ)は、中宮の彰子に仕えて、清少納言(せいしょうなごん)は、中宮の定子に仕えた。 彰子も定子も、藤原一族の娘たちだ。平安貴族には、文学の才能が、教養として求められた。

王朝の暮らし

平安文学は、王朝での貴族の暮らしを描いているので、王朝文学とも呼ばれる。
枕草子は、随筆の傑作だ。貴族の女性の暮らしを、細やかな感性で描いている。
源氏物語は、恋愛物語の傑作として、1000年の時を超えて、読み継がれている。読者と作者は、王朝の作法やしきたりを共有し、読書を楽しんでいたはずだ。


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