>文化史 文明開化と殖産興業

 

鎖国のなかの蘭学

1790年、江戸幕府は、寛政異学の禁(かんせいいがくのきん)により、学問の統制を図った。東洋の朱子学(しゅしがく)を奨励し、反対に、西洋文明の輸入には、消極的だった。
しかし、西洋文明の輸入は、日本の各地で続いた。
例えば、長崎ではシーボルトが鳴滝塾(なるたきじゅく)を開き、大阪では、緒方洪庵(おがたこうあん)が、適塾(てきじゅく)を開いていた。適塾の出身者には、のちに一万円札の肖像となる福沢諭吉(ふくざわゆきち)がいる。
西洋文明は、オランダ(漢字 和蘭陀)から輸入されたので、蘭学(らんがく)とも呼ばれた。

 

開国

1858年、日米修好通商条約の締結により、本格的に西洋文明の流入が始まった。
例えば、ヘボンは、ヘボン式ローマ字を開発し、日本語をアルファベットで表記できるようにした。

 

明治政府の殖産興業

さらに1868年、明治維新により誕生した明治政府は、殖産興行(しょくさんこうぎょう)を推進した。殖産興行は、科学技術を育成し、産業を発展する政策だ。
殖産興業の代表として、群馬県の富岡製糸場(とみおかせいしじょう)と福岡県の八幡製鉄所(やはたせいてつじょ)が、有名だ。
殖産興業は、日本における産業革命と考えられる。

 

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