>権力史 律令国家の誕生

 

ヤマト王権の争い

古代の奈良盆地には、ヤマト王権が成立していたが、権力は不安定で、たびたび争いが起こっていた。
例えば、蘇我馬子(そがのうまこ)と物部守屋(もののべもりや)も、争っていた。蘇我氏は大臣(おおおみ)、物部氏は大連(おおむらじ)、という役職についていた。蘇我馬子は、物部守屋を滅ぼして、崇峻天皇も暗殺した。

推古天皇と聖徳太子

推古天皇(すいこてんのう)が即位すると、政治を助けるために、摂政(せっしょう)を厩戸王(うまやとおう)にした。厩戸王は、聖徳太子(しょうとくたいし)とも呼ばれる。
603年に冠位十二階(かんいじゅうにかい)、604年に十七条憲法(じゅうななじょうのけんぽう)を、定めた。
冠位十二階は、地位を定め、憲法十七条は、規則を文字で残すことで、争いを減らそうとしたと、考えられる。

 

天智天皇

天智天皇(てんぢてんのう)は、反対者である蘇我入鹿(そがのいるか)と蘇我蝦夷(そがのえみし)を、乙巳の変(いつしのへん)で滅ぼした。天皇の側近として、蘇我氏は滅び、変わって藤原氏が台頭することになった。そして、中央集権の国家を目指して、645年、大化の改新をした。
初めての戸籍である庚午年籍(こうごねんじゃく)が作られた。戸籍は、税金や徴兵にも用いられ、国家が人間を統制するための基盤となる。

 

天武天皇

天武天皇(てんむてんのう)は、反対者である大友皇子(おおとものみこ)を、672年、壬申の乱(じんしんのらん)で、滅ぼした。

 

文武天皇

文武天皇(もんむてんのう)は、701年に、大宝律令(たいほうりつりょう)を、定めた。律令は、現在の法律に当たる。規則をあらかじめ定めておくことで、物事に秩序を与える。
大宝律令が定まるまでには、何度も争いがあったことに、注目したい。

 

聖武天皇

聖武天皇(しょうむてんのう)は、710年に、平城京(へいじょうきょう)に遷都して、奈良時代になった。
大仏建立の詔(だいぶつこんりゅうのみことのり)を発して、743年、東大寺(とうだいじ)に大仏を立てた。 律令に加えて、仏教によっても、国家の安定を目指すようになった。

 

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