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情動とは

情動(じょうどう)は、感情とほぼ同義に扱われるが、語用が異なる。

語用として、情動は、対象を科学的に理解したい場合に用いられる。

語用として、感情は、日常的な場面で用いられる。

例えば、喧嘩の場面を想定してみよう。私たちは「感情的になるな!」と注意するが、「情動的になるな!」とは注意しない。

情動は、心理学・脳科学・芸術、などを通じて研究されてきたが、現代では、情動の良い用法と、情動の悪い用法があることが、知られている。

情動の良い用法

情動の良い用法のうち、教育では意欲(英:motivation)に注目が集まっている。意欲は、俗語では「やる気」「根気」とも呼ばれるが、積極的に学習していく能力と考えられている。

ただ教科書を読み、問題を解くだけの学習ではなく、学習者の意欲を高めることが、学習を成功させる近道だと知られている。

したがって、現代のカリキュラムでは、知識・技能の獲得とともに、学習者の情動(好奇心・効果感・達成感)の成長も、求められている。

競争心・自負心・反発心・後悔などの苦い情動も、意欲につながる情動である点には、気をつけたい。

権力による恐怖や、報酬による誘惑も、人間を動かす情動だが、一時的なもので、長続きしないことがわかっている。

情動は、経営学の視点では、外発動機と内発動機に分類されている。

情動の悪い用法

物事に感動することは、無条件に良いことなのだろうか。感動して、新しい挑戦を始めてみようと思うのは、人間の素晴らしい能力に見える。しかし、常にそうなのだろうか。

物事に感動して、新しい挑戦を始めても、1週間も経たないうちに、また別の物事に感動して、行動を変えてしまう人間は、かわいそうな人間なのかもしれない。

例えば、あなたの友人が「映画で感動したのでスペイン語を習い始めた」と楽しそうに言っていて、また1か月後に「旅行して感動したからロシア語を習い始めた」と言ってきたら、あなたはどう感じるだろうか。

あなたの友人は楽しそうだし、毎日が充実しているかに見えるが、もしかすると、情動の被害者とも呼べるのではないか。

なぜなら、楽しく感動する生活を続けた結果、その人間には、何も残っていかないからだ。

このような人間の資質は、俗語でミーハーと呼ばれている。

ミーハーという言葉は、楽しさという肯定されがちな情動も、悪い影響があることを示している。

情動の負の影響への強さは、伝統的に、忍耐力・持続力と呼ばれている。また、近年ではレジリエンス(英:resilience)という言葉でも、研究が進んでいる。

情動と古典哲学

古典哲学では、情動の質ではなく、情動の量に、注目する。

楽しさは、無条件に良いものではなく、多すぎても少なすぎてもいけないと考える。例えば、食事を楽しむことは良いことだが、食事を楽しむことしかしていない人間は、健全なのだろうか。

同じように、苦しみも、無条件に悪いものではなく、多すぎても少なすぎてもいけないと考える。例えば、苦しみを避けようとするならば、どうしてオリンピックに向けて必死でトレーニングをしている選手を、私たちは応援しようとするのだろうか。

このような情動の過不足への配慮は、東洋哲学では中庸(ちゅうよう)と呼ばれ、西洋哲学ではアレテー(希: ἀρετή)と呼ばれている。

理性と情動の関係

西洋哲学において、ルネ・デカルト(仏: René Descartes、1596--1650)は、理性と情動を切り離して考えたが、現代では、理性と情動はどちらも人間の成長に不可欠で、組み合わせて、活用するものと考えられている。

情動の特徴として、発生が早く、消滅も早く、時空の変化に弱い点が挙げられる。

例えば、私たちは、音楽の好きな曲を、何度何度も反復して、聞こうとする。なぜなら、音楽から与えられる情動は、すぐに消滅してしまうからだ。さらに、音程がわずかに外れるだけで、音楽から与えられる情動は、変化してしまう。

この点は、理性が時空の変化に強い点と、対照的である。例えば、ホモ・サピエンスが農耕を始められたのは、春から農作業を続けると、秋には収穫できることを、理性で決定できるからだ。

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