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理性とは

理性(りせい)は、関係を与える能力だ。

語源として、東洋哲学の理(ことわり)があり、西洋哲学の輸入に際して、reasonの訳語として、理性は造語された。

語用として、理性は、忍耐力と混同して用いられがちだ。

例えば、喧嘩の場面を想定してみよう。私たちが「理性的になれよ!」と叫べば、「さらなる忍耐力」を、相手に求めていることになる。このような言葉遣いには、注意が必要だ。理性は、忍耐力ではない。

理性は、人類が進化によって獲得した能力で、理性によって、ホモ・サピエンスは、農耕を開始した。ホモ・サピエンスは、穀物を見て、食欲という情動に加えて、春から農作業を続けると、秋には穀物を増やせることを、理性で認識した。

農耕は、現在という時間と、未来という時間に、関係を与える能力がなければ、成立しえない。

理性は、数学・心理学・哲学、などを通じて研究されてきたが、現代では、理性の良い用法と、理性の悪い用法があることが、知られている。

理性の良い用法

理性の良い用法のうち、教育では計画性に注目が集まっている。現代社会において、物事を計画的に進める能力は、価値がある。

ただ教科書を読み、問題を解くだけの学習ではなく、学習者の計画性を高めることが、学習を成功させる近道だと知られている。

したがって、現代のカリキュラムでは、知識・技能の獲得とともに、学習者の理性(計画性・整理整頓)の成長も、求められている。

理性の悪い用法

理性を用いると、物事を遂行しやすくなるが、その一方で、物事を遂行しにくくなる場合もある。

例えば、20年後のことを、私たちは心配できる。心配はできるが、心配に終始するだけだ。ありもしないことを、繰り返し繰り返し、悩む。悩むのは、問題が現在の時間ではなく、未来の時間に存在することを、理性が認識しているからだ。

この場合、理性は私たちに負の影響を与えている。

また、理性の良い用法は、計画的と評価され、理性の悪い用法は、計算高いと非難されている。

理性と古典哲学

古典哲学では、理性の能力は、統治者の条件とされてきた。

五感の能力を超える領域を、統治するためには、理性の能力が不可欠であり、未来を見通す能力も、古今東西の指導者に共通している資質だ。先憂後楽という格言は、いかに統治者の理性が、時空に対して広がりを持つかを、示している。

理性と現代哲学

西洋哲学において、ルネ・デカルト(仏: René Descartes 1596--1650)が、理性と情動を切り離したあと、理性について深く吟味したのは、エマニエル・カント(独:Immanuel Kant 1724--1804)だ。

カントが提示した人間の認識能力は、メディアの発達した現在でも有効で、私たちの知識の土台となっている。

カントの遺産は、アメリカ大統領のウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson 1856--1924)を経て、今日の国際連合まで継承されている。

理性と情動の関係

意志決定には、理性による計算・予測だけでは不十分で、情動の助けがいることが、知られている。

不確定性のある現実世界では、恐怖という情動から逃れるために、理性は未来を計算しようとするが、最後は、勇気という情動の助けを借りて、前に進む。

また、情動の能力に対して、理性の能力は、能力開発の余地が大きいと考えられている。

例えば、喜び、悲しみ、怒り、笑い、などの情動の能力は、特に他人が介入しなくても、表れる。対して、数の計算・文字の読み書き、などの理性の能力は、積極的に介入しなければ、表れない。

その証拠に、義務教育の普及していない地域には、文字の読み書きのできない人間が、制度的に生み出されている。

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